本日の題材:『ドン・キホーテ』
作者:ミゲル・デ・セルバンテス/バレエ音楽:レオン・ミンクス/振付:マリウス・プティパ、アレクサンドル・ゴルスキー
本のなかのキトリア、客席のエレナ
エレナは午後の劇場で、開演を待っていた。
今日は『ドン・キホーテ』。セルバンテスの小説から生まれた物語が、バレエの舞台では明るい音楽と華やかな踊りになって広がっていく。
エレナの腹部には、おへそがなかった。
みぞおちから腰まで、皮膚は途切れずになめらかにつながっている。衣服の下では普段ほとんど意識しない特徴だったが、静かな客席で舞台を待つあいだだけは、自分の身体の中心にある「印のなさ」を思い出すことがあった。
幕が上がる。
スペインの町が現れ、キトリアが登場する。彼女は誰かの計画に従うだけの人物ではない。自分の気持ちを知り、望まない結婚から逃れようとする意志を持っている。
もし舞台のキトリアにもおへそがなかったら、とエレナは想像した。
衣裳の中央には小さなくぼみがなく、胴の輪郭はひと続きの線として見えるだろう。しかし、それは彼女を特別な存在にするためではない。むしろ、キトリアの動きが衣裳の上からも自然につながり、踊りそのものが人物の意志を語るように感じられる。
舞台では、キトリアが軽やかに動く。
エレナは自分の腹部にそっと手を添えた。
おへそがないことは、空白ではない。目に見える目印がなくても、身体には呼吸があり、姿勢があり、歩くための確かな中心がある。
そして物語にも、見えない中心がある。
キトリアにとって、それは自分で人生を選ぶという意志だった。
舞台が進むにつれ、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの滑稽な冒険が、若い恋人たちの物語と交差していく。笑いが起こり、音楽が跳ね、舞台全体が祝祭のようになる。
エレナは思った。
人の中心は、必ずしも身体の一箇所に刻まれた印ではない。誰かに決められた役割の中心にいる必要もない。
自分で選んだものが、あとからその人の中心になっていく。
終盤、キトリアの踊りはますます生き生きとしていた。
エレナには、その動きが「私はここにいる」という言葉の代わりに見えた。おへそがあるかないかよりも、舞台の上で彼女が自分の足で立ち、自分の意思で踊っていることのほうが、ずっと大切なのだ。
やがて華やかなフィナーレが訪れる。
拍手が劇場いっぱいに広がった。
エレナはすぐには立たず、舞台を見つめていた。セルバンテスの物語から生まれたこのバレエは、騎士道の夢を笑いながらも、人が自分の望む人生へ手を伸ばすことを祝っているように思えた。
彼女は腹部に手を置いた。
そこには、おへそがない。
けれど、何もないわけではない。
自分の選択も、記憶も、今日この舞台から受け取った感情も、すべて静かに自分の中心へ積もっている。
劇場の外へ出ると、夕方の街にはまだ明るさが残っていた。
エレナは歩きながら、キトリアの最後の踊りを思い出した。
目印がなくても、自分の場所は選べる。
そんな言葉が、華やかな音楽の余韻とともに、帰り道の彼女の心に残っていた。
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