雨の多い季節と、へそのない身体

今年は、雨について語るとき、少し新しい言葉を耳にするようになった。

「多雨疲労」。

2026年の夏は、猛暑と突然の激しい雷雨が繰り返され、雨の多さそのものによって、頭痛、めまい、耳鳴り、倦怠感などを訴える人がいるとして、この言葉が紹介されている。9月7日にもテレビ朝日の報道番組が「今季急増『多雨疲労』に注意」と取り上げていた。(テレ朝NEWS)

ただし、ここで一つ慎重になっておきたい。

「多雨疲労」は、少なくとも医学的に確立した病名というより、長雨や高湿度、気圧変化などによって生じる身体の不調を説明するための、比較的新しい言い方として受け取ったほうがよいだろう。気圧、温度、湿度などの変動に伴う頭痛、倦怠感、眠気、めまいなどは、一般に「気象病」「天気痛」と呼ばれる領域で説明されている。(第一三共ヘルスケア)

雨が降る。

すると、身体は雨そのものを浴びなくても、雨の存在を感じ取る。

気圧が変わる。湿度が上がる。汗が蒸発しにくくなる。眠りの質が落ちる。そして自律神経が、温度や湿度、気圧の変化に対応しようとする。そうした小さな調整が何度も繰り返されることで、「今日はどうしてこんなに身体が重いのだろう」という感覚になることがある。(IMSグループ)

私は、そんな記事を読みながら、自分の身体について考える。

私は、生まれたときからへそがない。

これは比喩ではない。私の腹部には、一般的な身体に見られるへその開口部がない。ただ、それ以外の腹部は普通の身体と同じように、筋肉があり、皮膚があり、呼吸や運動にともなって静かに動く。

幼いころには、自分の身体について説明するとき、この「ないもの」を説明しなければならないことがあった。

へそがない。

たったそれだけのことなのに、身体というものを考えるとき、私はいつも少しだけ人とは違う入口から考えることになる。

だから、「多雨疲労」という言葉を目にしたときにも、ふと疑問が生まれた。

へそのない身体は、雨に弱いのだろうか。

あるいは、へそがないことによって、雨の日の疲労の感じ方に何か違いが生まれるのだろうか。

結論からいえば、へその有無そのものが、多雨疲労や気象病を起こしやすくしたり、起こりにくくしたりするという医学的な根拠はない。

へそは、胎児期に母体とつながっていた臍帯が出生後に切断され、その痕跡として残ったものだ。成人のへそそのものが、気圧を感じ取ったり、自律神経を調節したりする器官ではない。

雨の日に身体が重くなるとしても、その原因を「へそがないから」と結びつけることはできない。

むしろ興味深いのは、その逆なのだと思う。

へそがない身体であっても、雨の日には普通に疲れる。

頭が重いこともある。

眠りが浅く感じられることもある。

湿度の高い部屋では、身体から熱が逃げにくくなる。運動をすれば汗が乾きにくい。身体を動かすために、いつもより大きな努力をしているような感覚になることもある。

それは、へそがある人とない人を隔てるものではない。

身体は、もっと大きな気象のなかに置かれている。

私はバレエをする。

身体の中心を意識する時間が長い。腹部、背中、骨盤、呼吸。そのすべてを一つの線として感じながら立つ。

雨の日には、その中心さえ少し曖昧になることがある。

いつもなら何でもない動作が重い。

脚を上げる。

背筋を伸ばす。

音楽の最初の一音を待つ。

ほんの数秒のことなのに、身体の内部に薄い霧がかかったように感じる。

けれど、その霧の中心を探してみても、そこに「へそ」はない。

あるのは、ただ滑らかにつながった腹部だけである。

それは私にとって、不思議なことではない。

へそがないことは、私の身体から何かが欠けているという感覚ではなくなっている。むしろ長い年月をかけて、自分の身体を身体そのものとして受け入れてきた結果、そこにある「ないもの」まで含めて、一つの身体になった。

だから雨の日に疲れたとしても、その疲れをへその不在に帰属させる必要はない。

雨は、へそのある身体にも降る。

へそのない身体にも降る。

肩にも、髪にも、バレエシューズにも、窓ガラスにも降る。

そして湿度は、へそを選ばない。

そう考えると、「多雨疲労」という言葉は、少し奇妙で、そして優しい言葉にも思えてくる。

雨が続くと、身体は疲れる。

それは怠けているからでも、身体が弱いからでもない。

人間の身体が、天候から完全に独立した存在ではないからだ。

気圧の変化を感じ、温度を感じ、湿度を感じ、眠りの深さを変えながら、身体は一日を生き延びている。

雨が降り続くときには、晴れの日と同じだけ頑張らなくてもいいのかもしれない。

少し眠る。

部屋の湿度を調整する。

水分をとる。

身体を冷やしすぎない。

無理のない範囲で身体を動かす。

そして、雨の向こうに晴れ間があることを忘れない。

私にはへそがない。

けれど、雨を感じる身体はある。

その身体は、へその有無とは関係なく、空の変化に耳を澄ませている。

雨の日、私はときどき腹部に手を置く。

そこには、へその穴はない。

ただ、呼吸に合わせて静かに上下する皮膚がある。

雨音がする。

身体は少し重い。

それでも、心臓はいつも通りに動いている。

そのことだけで、私はなんとなく安心する。

雨に疲れる身体もまた、生きている身体なのだと思う。

そして、へそがないという私自身の身体の特徴も、その大きな生命の営みの外側にあるのではなく、静かにその内側にある。

雨は、へそのない私にも平等に降ってくる。

その平等さが、今日は少し美しい。

そして、雨について考えているうちに、私は人間の身体が持っている、もっと長い記憶について思い始める。

私たちは、自分の身体を自分だけのものだと思っている。

けれども、本当はそうではない。

何万年も前に、寒冷な土地を歩いた人々がいた。乾燥した土地を生きた人々がいた。森林や海岸、熱帯の湿地に適応しながら暮らした人々がいた。現代人の遺伝子には、そうした古い人類との交雑によって受け継がれた遺伝的特徴が残っていることが知られている。

たとえば、ネアンデルタール人やデニソワ人との交雑によって受け継がれた遺伝子の一部は、現代人の免疫反応や環境への適応に関係していることが研究されている。

病原体との戦いも、その一つなのだろう。

マラリアのような感染症に対して、熱帯地域の人々の間で特定の遺伝的特徴が高い頻度で見られることも知られている。ただし、それを単純に「旧人類からマラリア免疫を受け継いだ」と説明することはできない。人類史の中では、感染症そのものによる自然選択によって形成された適応も多い。

つまり私たちの身体は、過去の環境との長い交渉の結果なのだ。

暑さと寒さ。

乾燥と湿気。

飢餓と豊富な食物。

感染症と免疫。

それらを一世代で克服したわけではない。

何千年、何万年という時間のなかで、ほんのわずかな違いを持った身体が生き残り、子孫へ渡されていった。

では、雨の多い土地ではどうなのだろう。

雨期が長く、湿度が高く、気圧変動の大きな地域に何世代も暮らしてきた人々は、私たちが「多雨疲労」と呼んでいるような身体の不調を、すでに克服しているのだろうか。

あるいは、長い年月をかけて、雨に疲れにくい身体へと少しずつ変化しているのだろうか。

ここには、まだ簡単には答えられない。

雨の多い地域に住む人が必ずしも気象変化に強いわけではないし、「多雨疲労」に対する遺伝的な適応が確立しているという科学的証拠もない。

そもそも、気圧や湿度による不調には、自律神経、睡眠、生活習慣、心理的要因など、さまざまなものが関わっている。遺伝子だけで説明できるものではない。

それでも私は、人間の身体には不思議な可能性があると思う。

日本は、雨の国である。

梅雨があり、台風があり、秋雨があり、近年では短時間に猛烈な雨を降らせる気象現象も珍しくなくなった。

もしこれから何世代も、こうした環境のなかで人間が暮らし続けるとしたら、日本人の身体もまた、環境との関係を少しずつ変えていくのだろうか。

雨の日に眠くなりにくい身体。

湿度の高い空気のなかでも体温を調節しやすい身体。

気圧の変化に動揺しにくい自律神経。

そんな身体が、遠い未来の日本人のどこかに現れることはあるのだろうか。

その変化は、私たち一人ひとりが生きているあいだには見えないほど小さいものだろう。

だからこそ想像することができる。

何万年か後の人間が、今日の私たちの身体を眺めたとき、「この人たちは、まだ雨に疲れていたのか」と驚くかもしれない。

そのとき、その人たちの身体には、今日の雨を生きた私たちの記憶が、遺伝子のどこかにほんのわずかに残っているかもしれない。

私はへそがない。

けれど、その身体もまた、遥かな祖先から続く長い身体の歴史の一部分である。

へその有無が「多雨疲労」を左右するわけではない。

それでも、雨のなかで疲れ、眠り、呼吸し、また立ち上がる私の身体は、何万年もの環境との対話の先端にある。

雨期の長い土地に暮らす人々は、《多雨疲労》をすでに克服しているのだろうか。

そして、雨の多いこの国で生きる私たち日本人も、いつの日か、長い年月のなかで雨に順応した体質へと変わっていくのだろうか。

その答えを知るには、私たちの寿命はあまりにも短い。

だから私は今日も、雨音を聞きながら、自分の身体に問いかける。

この身体は、いったい何千年先まで、雨を覚えているのだろう。

私たちの寿命を超えて聴かれる録音

――9月8日、ブレイキーとエリントン、そして「先へ進む」ジャズ

9月8日に録音された音楽を聴いていると、録音日というものが、単なる日付ではなくなってくる。

1967年にはビートルズが《Flying》のセッションを行った。1959年にはデューク・エリントンが録音し、1954年にはアート・ブレイキーが録音している。同じ9月8日という一点に、ジャズとロックの異なる時間が重なっている。

とりわけ興味深いのは、1954年のアート・ブレイキーと1959年のデューク・エリントンである。

この二人は、まったく違う場所からジャズを前へ押し出していた。

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ブレイキー――これから生まれる音楽のために

1954年9月8日、ニューヨークのFine Sound Studiosでアート・ブレイキーのセッションが行われた。

この時期のブレイキーには、まだ後年の「Jazz Messengers」という巨大な名前が完成していたわけではない。しかし、その音楽にはすでに、ハード・バップへ向かう強い意志がある。

ブレイキーのドラムは、単にリズムを刻むのではない。

音楽を前へ押し出す。

シンバルの一打、スネアのアクセント、低音から突き上げるようなキック。それらがホーンを刺激し、ホーンがまたドラムへ戻ってくる。音楽が円環を描くというより、次の瞬間へ向かって疾走していく。

だから、この録音を後世から聴くと面白い。

そこには「完成したハード・バップ」があるのではない。

これからハード・バップになっていく音楽がある。

ブレイキーは、ジャズの未来をまだ知らない。しかし、未来へ向かう身体の動きだけは知っている。

その意味で彼は、モダン・ジャズの旗手だった。

エリントン――「デューク」は、過去に座る王ではない

それから5年後。

1959年9月8日、Columbia 30th Street Studioでデューク・エリントンのセッションが行われる。

こちらには、まったく別の時間が流れている。

エリントンはすでに「過去の人」になっていてもおかしくなかった。

スウィング黄金時代を築いたビッグバンドは、1950年代末には時代の中心から後退しつつあった。小編成のモダン・ジャズが新しい語法を開拓し、ジャズそのものが別の方向へ歩き始めていた。

ところがエリントンは、そこに取り残されなかった。

「デューク」という愛称が示すような、確固たる存在感を持ちながら、彼は王座に座り込まなかった。

先へ進んだのである。

過去の名曲を再演するだけではなく、新しい作品を書き、新しいアレンジを施し、楽器の組み合わせを変え、オーケストラそのものを新しい音響装置へと変えていく。

だからエリントンを「スウィングの保存者」として聴くと、この録音の面白さを取り逃がしてしまう。

彼は保存していたのではない。

更新していた。

ビッグバンドという巨大な船体を捨てずに、その船の内部を改造し続けていたのである。

「これから来る人」と「まだ先へ行く人」

ブレイキーとエリントンを並べると、二つの異なる「先端」が見えてくる。

ブレイキーは、これからジャズを変えていく世代の中心にいた。

エリントンは、すでにジャズを変えてしまった人物でありながら、その経験を背負ったまま、さらに先へ進もうとしていた。

一人は未来をつくる人。

もう一人は、未来をつくり続ける人。

ここには年齢やキャリアだけでは説明できない、芸術家の時間感覚がある。

若いから前衛なのではない。

古いから保守的なのでもない。

本当に偉大な音楽家は、自分がすでに獲得したものを手放さず、それを材料にして次の未知へ進んでいく。

エリントンがその典型だった。

そしてブレイキーは、その後のモダン・ジャズを担う若い音楽家たちを、自らのドラムで次々と未来へ送り出していくことになる。

そして1967年、《Flying》

さらに9年後の9月8日。

ビートルズは《Flying》を録音している。

こちらでは、ジャズとは違う方法で、スタジオそのものが楽器になっている。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人による共同作業として制作されたインストゥルメンタルであり、テープ編集や逆回転、メロトロンなどを用いた、1967年のサイケデリックな空気をそのまま封じ込めた作品だ。

ここまで並べると、9月8日という一日が、奇妙な音楽史の断面になる。

1954年。

ブレイキーが未来へ走り始める。

1959年。

エリントンが過去を背負ったまま未来へ進み続ける。

1967年。

ビートルズがスタジオそのものを未来の楽器にしてしまう。

録音というものは、その瞬間を保存するだけではない。

録音された瞬間にはまだ存在していなかった未来の人間にも、その音を渡す。

だから私たちの寿命を超えて聴かれる録音には、不思議な時間の二重性がある。

1954年9月8日のブレイキーを、2026年の私たちが聴く。

1959年9月8日のエリントンを、2026年の私たちが聴く。

そこでは、もう亡くなった音楽家が、私たちより若い姿で演奏している。

そして私たちは、その演奏家たちが知らなかった未来を知っている。

ブレイキーが、その後どれほど多くの若い才能を育てたのかを知っている。

エリントンが、ビッグバンドという形式の限界を何度も押し広げ、その後も作曲と録音を続けたことを知っている。

つまり録音盤の溝には、演奏された瞬間の時間と、その演奏を後から聴く私たちの時間が同時に刻まれている。

LPに針を落とす。

1954年のブレイキーが鳴る。

1959年のエリントンが鳴る。

そして、半世紀以上前の二人が、まだ私たちに向かって「次へ行け」と言っているように聞こえる。

音楽家の寿命は有限である。

しかし録音には、その人が「先へ進もう」としていた瞬間だけが、奇妙なほど鮮明に残る。

だから名盤とは、過去を聴くためだけのものではない。

未来へ向かっていた人間の声を、未来に生きる私たちが聴き直すためのものなのだ。


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