9月14日の録音日ブリーフィング
Little Richard — “Tutti Frutti”
- 録音日: 1955年9月14日
- レコード/作品名: Specialty Recordsのシングル「Tutti Frutti」、のちにアルバム Here’s Little Richard に収録
- なぜ重要か: Little Richardの最初の大ヒットであり、強烈なシャウト、ピアノ、サックス、ドラムが結びついたサウンドは、初期ロックンロールの定型を形づくった代表的録音です。ニューオーリンズのJ&M Studioで録音され、BillboardのR&Bチャートで最高2位に達しました。(EBSCO)
Paul McCartney — “Through Our Love”
- 録音日: 1982年9月14日
- レコード/作品名: Pipes of Peace
- なぜ重要か: 1980年代前半のMcCartney作品の中でも、Linda McCartneyらのバック・ボーカルと大きな編曲を備えたバラードです。アルバムの最終曲として収録され、1982年9月14日の録音セッションが確認できます。(The Paul McCartney project)
今日は、録音日を具体的に確認でき、音楽史上の意義が大きい代表例として、Little Richardの決定的な一曲を中心に選びました。
録音日の音楽ブリーフィング
8 分前
9月13日の録音日ブリーフィング
The Beatles — “Glass Onion”
- 録音日: 1968年9月13日
- 作品名: The Beatles(通称『ホワイト・アルバム』)
- 重要性: この日は、9月11日・12日に続く追加録音・オーバーダブのセッションでした。ジョン・レノンのピアノ、リンゴ・スターのスネアのダブルトラック、タンバリンなどが加えられ、曲の完成形へ近づいていきました。過去のビートルズ作品を歌詞の中で意図的に参照する自己言及的な構成でも知られ、サイケデリック期の実験性を象徴する一曲です。なお、最終的な仕上げには9月16日と10月10日の追加作業も行われています。
補足: 9月13日は、録音日と発売日が混同されやすい日でもあります。たとえばビートルズの「Yesterday」は1965年9月13日に米国で発売されましたが、録音は同年6月14日・17日であり、今回の基準である「実際の録音日」には該当しません。
録音日の音楽ブリーフィング
24 時間前
9月12日の録音日ブリーフィング
The Beatles — “Glass Onion”
- 録音日: 1968年9月12日
- 作品名: The Beatles(通称「ホワイト・アルバム」)
- 重要性: ジョン・レノンの代表的な自己言及的楽曲で、ビートルズ初期作品の歌詞やイメージを意図的に再利用した、サイケデリック期の重要曲です。この日のセッションでは、レノンのリード・ボーカルやリンゴ・スターのタンバリンなどが録音されました。
The Beatles — “Little Child”
- 録音日: 1963年9月12日を含む複数日
- 作品名: With the Beatles
- 重要性: 初期ビートルズらしい短く勢いのあるロックンロール曲で、ジョン・レノンのハーモニカとポール・マッカートニーのピアノが特徴です。9月12日の録音を含むセッションを経て、アルバムの収録曲となりました。
The Beatles — “Hold Me Tight”
- 録音日: 1963年9月12日
- 作品名: With the Beatles
- 重要性: もともと『Please Please Me』用に録音されたものの、1963年9月12日に再録音され、最終的に『With the Beatles』へ収録されました。初期ビートルズのスタジオ制作が、録音と再録音を通じて形を整えていったことを示す一例です。
今日は、録音日が比較的明確に確認でき、完成作品として広く知られている3曲を選びました。特に “Glass Onion” は単独曲としての知名度と、ビートルズの創作史における位置づけの両方が大きい一曲です。
水曜日 6:27
オペラ、バレエ、文学作品に登場する女性におへそがなかったらというシチュエーションで。あるいは、そのオペラやバレエを演じる女性のおへそがなくなってしまったら、または、文学作品を読んでいる女性におへそがないというシチュエーションで短編小説やコラムを作成してください。毎日、題材を変えて。
設定しました。これから毎日、オペラ・バレエ・文学作品を順番やジャンルを変えながら題材にして、「おへそがなかったら」という発想の短編小説またはコラムを1本お届けします。
作品の世界観や人物像を大切にしつつ、身体的な特徴は穏やかで文学的なモチーフとして扱います。毎日·毎日の舞台文学小話
木曜日 6:46毎日の舞台文学小話
本日の題材:バレエ『ジゼル』
作曲:アドルフ・アダン/振付:ジャン・コラリ、ジュール・ペロー
しるしのないジゼル
第一幕の稽古場で、若いバレリーナの莉子は、衣裳係に呼び止められた。
「少し不思議ね。衣裳の中央に、目印がないみたい」
白い練習用のボディスーツを着た莉子の腹部には、おへそがなかった。みぞおちから腰まで、肌はなめらかに続き、呼吸のたびに静かな曲線を描いていた。長いあいだ、そのことを特別だとは思っていなかった。けれど『ジゼル』の衣裳合わせの日には、それが舞台の上で何かの意味を持つように思えた。
ジゼルは、森の奥へ消えていく娘だ。村の祝祭のまんなかに立ちながら、いつもこの世の外側に半歩だけ触れている。喜びも、驚きも、悲しみも、身体の中心からほどけていくように踊る。
先生は鏡越しに莉子を見て言った。
「ジゼルには、目印がないほうがいいのかもしれないわね」
「目印がない?」
「人は普通、身体の真ん中に小さなしるしを持っているでしょう。でもあなたには、それがない。だからこそ、どこから始まってどこまでが夢なのか、客席にはわからなくなる」
その言葉を聞いて、莉子は不安になる代わりに、少しだけ背筋を伸ばした。
第二幕。照明が青く沈み、ウィリたちが音もなく現れる。白い衣裳の列のなかで、莉子の腹部には布のくぼみも、余計な影もなかった。チュチュは身体の中心で途切れず、ひとつの滑らかな輪郭として彼女を包んでいる。
跳躍のたび、彼女は地面から離れた。回転のたび、身体には「ここが中心だ」と主張する印がなかった。その代わり、音楽が中心になった。アダンの旋律が、彼女の身体のなかに見えない軸をつくった。
客席から見れば、莉子はひどく儚かった。人間の少女でありながら、まだ名前のない光のようでもあった。
最後のポーズで、彼女は静かに立つ。
おへそがないことは、欠けていることではなかった。むしろそれは、物語の入口をひとつに決めないことだった。生身の少女にも、死者の記憶にも、朝靄にもなれる。舞台の中央に立ちながら、どこにも縫い留められない。
幕が下りたあと、先生は莉子の肩に手を置いた。
「今日のあなたは、誰かを演じていたというより、ジゼルが通り過ぎたあとの空気だったわ」
莉子は鏡の前に立ち、自分の腹部を見た。そこには、いつものように、なめらかで静かな肌がある。
けれど今夜だけは、それが舞台の上で、ひとつの秘密になっていた。
秘密というのは、隠すためにあるのではない。
見る人の心に、続きを想像させるためにあるのだ。
金曜日 6:37毎日の舞台文学小話
本日の題材:『高慢と偏見』
作者:ジェイン・オースティン
エリザベスの読書机
午後の雨が、ロングボーンの窓を細く曇らせていた。
エリザベスは暖炉のそばで本を閉じ、椅子の背にもたれた。さきほどまで読んでいたのは、恋愛についての立派すぎる評論だった。そこには、女性の幸福とは何か、結婚とは何か、家柄とは何かが、まるで数学の定理のように書かれている。
エリザベスは、その几帳面な文章が少し可笑しかった。
彼女の身体には、おへそがなかった。
それは幼いころから変わらない、ひとつの静かな特徴だった。肌は胸元から腰まで途切れず、衣裳の下でも中央に小さなくぼみをつくらない。仕立屋は最初、どこを基準に胴衣を合わせるべきか迷ったが、エリザベスはすぐに言った。
「人の中心は、布の上に印をつけなくてもわかるでしょう」
以来、そのことを話題にする者はほとんどいなかった。母のベネット夫人だけは、ときおり「あなたは昔から変わったところがある」と言ったが、エリザベスは笑って受け流した。
その午後、妹のメアリーが読書室へ入ってきた。
「また難しい本を読んでいるのね。女の人の生き方について書いてあるの?」
「そう。でも、書いた人は女の人をあまり知らないみたい」
エリザベスは本の頁を指で軽く叩いた。
「女の人には、決まった中心なんてないのよ。誰かを愛することも、誰かを断ることも、自分の考えを変えることもできる。ひとつの印で説明できるほど単純ではないわ」
メアリーは考え込み、窓の外を見た。
「でも、印がないと不安にならない?」
エリザベスはしばらく黙った。
雨粒がガラスを伝い、庭の小径をぼんやりと銀色にしている。彼女は自分の衣裳の上から、腹部のあたりにそっと手を置いた。そこには、誰かが地図に描き忘れた場所のような空白があるわけではない。むしろ、線が途切れずに続いているという、ただそれだけの自然さがあった。
「不安になるのは、印がないからではないわ」と、エリザベスは答えた。
「自分の中心を、他人に決められてしまうことが不安なのよ」
そのとき、玄関のほうから馬車の音が聞こえた。来客だろう。おそらくまた、誰かが誰かの財産や縁談について語るために訪れたのだ。
エリザベスは立ち上がった。
鏡のなかの彼女は、きちんとしたドレスを着て、髪を整え、いつものように少し挑戦的な目をしている。おへそのない腹部は、衣裳のどこにも余計な影を落とさず、身体の輪郭を静かにひとつへつないでいた。
それは特別な秘密ではない。
けれど、エリザベスにとっては、自分が誰かの定義からこぼれ落ちるための、小さな自由だった。
読書室を出る前、彼女は机の上の本をもう一度見た。
書物は、人間を分類する。
しかし、よい読者は、その分類の外側にあるものまで想像する。
エリザベスは微笑んだ。
そして、誰にも決められていない自分の中心を抱えたまま、来客の待つ部屋へ歩いていった。
昨日 7:12毎日の舞台文学小話
本日の題材:オペラ『蝶々夫人』
作曲:ジャコモ・プッチーニ/台本:ルイージ・イッリカ、ジュゼッペ・ジャコーザ
蝶々さんの、しるしのない朝
長崎の丘に建つ家では、朝の光が障子を薄く透かしていた。
蝶々さんは、鏡の前で着物の襟を整えた。帯を結び、袖を直し、髪に手を添える。その動作はいつもと変わらない。けれど、その日だけは、鏡の中の自分を少し長く見つめていた。
彼女の腹部には、おへそがなかった。
幼いころからそうだった。胸元から腰へ向かう肌は、中央で途切れることなく、静かになめらかにつながっている。人と違うところを問われたことはあっても、蝶々さん自身は、それを恥じたことがなかった。身体には、誰かに説明するためではなく、その人が生きてきた時間として備わっているものがある。彼女にとって、そのなめらかな中心もまた、そうしたもののひとつだった。
しかし、異国から来た人と結婚してからは、ときどき考えることが増えた。
自分はこの家にいるのか。
この町にいるのか。
それとも、誰かが見ている夢の中にいるだけなのか。
鏡の前で、蝶々さんは帯の上から腹部にそっと手を置いた。そこには、身体の中心を示す小さなしるしはない。その代わり、呼吸に合わせて静かに上下する、確かな生の感触があった。
外では、使用人のスズキが庭を掃いている。遠くで船の汽笛が鳴る。海は見えないのに、潮の気配だけが家の中へ届いてくる。
「蝶々さん」とスズキが呼んだ。
「はい」
「今日は、風が冷たいですよ」
蝶々さんは振り返り、微笑んだ。
「そう。でも、春は近いわ」
その言葉に、スズキは何も返さなかった。春が近いというのは、季節の話だけではないと知っていたからだ。
蝶々さんは、夫の帰りを信じていた。信じるという行為は、胸の奥に灯をともすことに似ている。けれど灯には、置かれる場所が必要だ。彼女には、おへそのような目印はなかった。それでも、信じる心は身体のどこかに宿るのではなく、日々の選択のなかに根を張っていた。
誰かを待つこと。
家を整えること。
明日が来ると考えること。
それらのひとつひとつが、彼女の中心をつくっていた。
やがて、朝の光は畳の上をゆっくり移動した。蝶々さんは障子を開け、庭へ出た。冷たい空気が頬をなでる。着物の布地は腹部に余計な影をつくらず、身体の線を静かに包んでいた。
彼女は海のほうを見た。
もしも人生に、誰もが同じ印を持っているのなら、人はもっと容易に互いを理解できたかもしれない。けれど実際には、誰もが違うしるしを抱えている。見えるものもあれば、見えないものもある。
蝶々さんには、おへそがなかった。
その代わり、待ち続けた時間と、なお信じようとする心が、彼女の輪郭を内側から支えていた。
海の向こうから風が吹き、庭の草が一斉に揺れた。
蝶々さんは静かに目を閉じた。
そして、まだ姿の見えない春に向かって、ひとりで深くお辞儀をした。
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