魚河岸へ向かう朝、梨花は自然と真夏と翔太に気を配っていた。
人の多い場所では、真夏はつい足を止める。
翔太は逆に、面白そうなものへすぐ走り出す。
その両方を見ながら歩くのは、思っていたより神経を使う。
けれど翔太も、ただはしゃいでいるだけではなかった。
自分より小さい陽菜と結衣の歩幅をちゃんと気にして、ときどき振り返る。
「こっちだよ」
「手、つないで」
そんな声をかけるたび、少しだけ背が高く見えた。
その様子を横目で見ながら、伯母は伯父の顔を見た。
どこか少年みたいに生き生きしている。
「ははん」
伯母は心の中で思う。
「この人、もう作戦の下準備してるな」
案の定だった。
伯父は出発の時間を少しずらしていた。
子どもたちをただ連れていくだけではなく、いちばん見せたい場面にちょうど合うようにしていたのだ。
魚河岸へ着くと、まず目に飛び込んできたのは、大きな魚が運び出されていくところだった。
トラックの荷台へ積まれていく魚は、大人の体に近いほど大きいものもある。
銀色の皮が朝の光を返し、びしりと並ぶ姿に、子どもたちはいっせいに息をのんだ。
「でかい!」
翔太が叫ぶ。
「おっきい……」
陽菜も目を丸くする。
真夏は声も出ないまま、その動きを追っていた。
魚は皿の上に切られて出てくるものだと思っていた世界が、またひとつ崩れていく。
こんな大きな姿のまま、人の手で運ばれ、次の場所へ流れていく。
伯父が時間をずらしたおかげで、場内のピークはすでに過ぎていた。
せわしなさは少し落ち着き、人の波もきつすぎない。
それでいて、魚の動きや仕事の名残はしっかり見える。
子どもたちにとっては、ちょうどいい観察の時間だった。
「ほら、こっちだ」
伯父が手を振ると、向こう側から手を振り返す男性がいた。
その脇には、若い女性も立っている。
ふたりとも仕事の途中らしい雰囲気だが、伯父を見るとすぐに笑顔になった。
「知り合いの寿司屋さんに、食材を買っておいてもらったんです」
伯父が少し得意そうに言う。
「やっぱりそういうことね」
伯母が呆れ半分で笑う。
「完全に下準備済みじゃない」
木箱のふたが順に開けられていく。
鯛。
イカ。
蟹。
真夏がこの前から覚え始めた魚たちが、目の前でまだ生きていた。
木箱の中で、ぴくりと動く。
光る。
息づく。
真夏は息を詰めたように見入った。
知っている名前と、目の前の姿がようやく重なる。
食卓の上で見た鯛。
男たちのつまみになりかけたイカ。
味噌汁の出汁になった蟹。
それが、今はまだ料理になる前の形で、ちゃんとそこにいる。
「こんなのもあるぞ」
寿司屋の男性が、少し大きめの木箱を見せる。
中には立派な蟹がいた。
脚を広げると迫力があって、翔太は一歩近づいたと思った次の瞬間、腰を引いた。
「うわっ」
そのまま本気で腰を抜かしそうになって、みんなが笑う。
「さっきまで隊長みたいな顔してたのに」
伯母が言う。
「これは別!」
翔太は真顔で言い返す。
「でかすぎる!」
真夏はその騒ぎにはあまり引っぱられず、鯛のほうへ目を向けていた。
梨花がすぐ隣で様子を見ている。
「さわってみる?」
梨花が聞くと、真夏は少しためらってから頷いた。
そっと手を伸ばす。
指先が鯛の身に触れた、その瞬間。
ぴくり。
真夏は小さく肩をすくめた。
でも手は引っ込めなかった。
目を見開いたまま、もう一度その動きを確かめる。
「……呼吸してる」
その表現に、寿司屋の男性と若い女性が思わず吹き出した。
「呼吸してる、か」
男性が笑う。
「たしかにそうだね」
若い女性も口元を押さえる。
子どもらしい言い方なのに、妙に本質をついていた。
生きている。
動いている。
料理になる前に、たしかに息づいている。
真夏はそれを、自分の言葉でちゃんとつかんだのだ。
梨花は、その横顔を見て少しうれしくなった。
見て覚えるだけだった真夏が、今は見たものに自分の言葉を当て始めている。
それはきっと、大きな変化の始まりだった。
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