第二十話 魚の姿から、寿司の形へ

店内は、思っていたよりずっと広かった。

伯父伯母夫婦、梨花、真夏、翔太、陽菜、結衣、そして子どもたちの両親。大人数で入っても、席の間には十分なゆとりがある。子どもたちが少し身じろぎしても、店員が通るたびに椅子を引く必要はない。

「これなら、みんなで来ても大丈夫ね」

伯母は呆れたように言ったが、その目には隠しきれない誇らしさがあった。

店の外には開店祝いの花輪が並び、そこには伯父の名前もあった。

「伯父さんの名前がある!」

翔太が見つけて、大喜びする。

「やっぱり、ここを作るの手伝ったんだ」

「少し相談に乗っただけだ」

伯父はそう言ったが、表情は少年のように明るかった。伯母はその横顔を見て、また小さくため息をつく。けれど、そのため息もどこか嬉しそうだった。

カウンターでは、鯛やイカが人数分握られている。
その間に、吸い物と小鉢が運ばれてきた。

真夏は椀の蓋を両手で持ち上げ、そっと中をのぞき込んだ。
三つ葉と麩が浮かび、見た目だけなら、梨花が作ったものとよく似ている。

けれど、香りが違った。

梨花の吸い物には、椎茸や祖母の出汁のやわらかな香りがあった。
こちらは魚の骨や昆布の気配が前に出ていて、すっきりしている。
同じ吸い物でも、作る人と材料が変われば、こんなに違う。

真夏はひと口飲み、しばらく考えた。

「梨花のと、ちがう」

「わかる?」
梨花が尋ねる。

真夏は頷いた。

「こっちは、お魚」

その短い答えに、梨花は嬉しそうに笑った。
真夏はもう、ただ「おいしい」と言うだけではない。香りや味の違いを、自分の言葉で見つけ始めている。

やがて寿司が運ばれてきた。

陽菜と結衣は、先に出された吸い物と小鉢で使った箸を持ち、上品に食べようとしていた。けれど、寿司は思ったより扱いにくい。箸でつまもうとすると、魚と酢飯が少しずつずれてしまう。

「むずかしい……」

「崩れちゃう」

ふたりが困っていると、翔太は慣れた様子で寿司を手に取った。

「こうだよ」

父親と寿司屋へ行ったことがある翔太は、手でひょいと持ち上げ、そのまま一口で食べる。

「手でいいの?」

陽菜が驚く。

「うん。お父さんがそうしてた」

梨花は、真夏の様子を見た。
真夏の前には鯛の握りが置かれている。

昼食の和風パスタにも鯛は入っていた。
けれど、あのときは蒸してほぐした身だった。
やわらかく、細かく分かれ、ソースと麺に絡んでいた。

今、目の前にある鯛は違う。
同じ魚なのに、舌に触れる感触がまるで違う。
しっとりしていて、ほどける前の張りがある。
魚河岸で見たときの生命力が、まだどこかに残っているようだった。

真夏は寿司を見つめたまま、梨花のほうをちらりと見る。
どう食べるのか聞きたいのだろう。
けれど、まだ自分から声を出すには少し勇気がいる。

梨花はその気持ちを察した。

「こうするんだよ」

梨花は寿司を手でそっと摘み、魚が下になるように持ち上げた。
そして、ためらわず一口で食べる。

「おいしい」

それを見て、真夏も寿司へ手を伸ばした。
小さな指で慎重に持ち上げ、梨花の真似をする。

口に入れた瞬間、真夏の目が少し大きくなった。

魚河岸で見た鯛。
寿司屋の女性の手元で形を変えた鯛。
昼のパスタに入っていた鯛。
それらが、ひとつの味の記憶としてつながっていく。

「同じ鯛なのに、ちがう」

真夏が言った。

「うん。料理の仕方で、食感も香りも変わるんだよ」

梨花が答えると、真夏は寿司を見つめたまま、ゆっくり頷いた。

カウンターの向こうで、若い女性がその様子を見ていた。
彼女は何も言わず、ただ微笑んでいる。

真夏はまた、手元を観察していた。
魚が切られ、酢飯と合わせられ、握られ、ひとつの形になる。
その形は、食べる人の前に置かれた瞬間、また別の意味を持つ。

料理は、姿を変えるだけではない。
見た人の記憶まで変えていく。

真夏は、もう一度鯛の握りを見た。
そして今度は、梨花に聞かなくても、自分の手でそっと持ち上げた。

その動きを見て、梨花は静かに笑った。
真夏の新しい冒険は、もう始まっている。

魚を知ること。
料理を知ること。
そして、自分の言葉で感じたことを伝えること。

そのすべてが、夏の一日の中で少しずつ育っていた。


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