本日の題材:オペラ『椿姫』
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ/原作:アレクサンドル・デュマ・フィス/台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
客席の女性と、舞台のヴィオレッタ
幕が上がる少し前、紗英は劇場の客席で静かに背筋を伸ばしていた。
今日はひとりで『椿姫』を観に来た。舞台には華やかなサロンが現れ、やがてヴィオレッタが登場する。美しさと病、歓びと孤独を同時に抱えた女性。その姿を、紗英はいつも自分とは遠いものだと思っていた。
けれど、その夜は違った。
客席の暗がりで、紗英の腹部には、おへそがなかった。
もともと彼女の身体には、中央を示す小さなくぼみがない。みぞおちから腰まで、皮膚は途切れず、なめらかに続いている。服の上からはほとんどわからない特徴だったが、舞台に集中していると、ときどきその静かな違いが意識へ浮かんだ。
舞台のヴィオレッタは、華やかなドレスをまとっている。照明が衣裳の布地をなぞるたび、身体の輪郭が美しく浮かび上がる。そこには、決まった目印のようなものはない。胸元から腰へ、腰から歩みへ、すべてがひとつの流れとしてつながっていた。
紗英は、その姿に妙な親しさを感じた。
ヴィオレッタの人生は、他人から勝手に意味づけられていく。社交界の花、恋人、病人、犠牲になる女。けれど彼女自身は、そのどの呼び名にも完全には収まらない。
休憩時間、紗英は膝の上に手を置いた。
舞台の女性には、おへそがないように見えた。もちろん、それは演出による錯覚にすぎない。だが、紗英には、その“印のなさ”が、ヴィオレッタの生き方を思わせた。
誰かが決めた中心に、自分を置かないこと。
愛していても、失っていても、自分の心を自分のものとして持ち続けること。
第二幕が始まる。
ヴィオレッタが愛のために何かを手放そうとするとき、紗英はその選択の重さを、客席からではなく、自分の身体の内側から感じていた。
おへそがないことは、欠けていることではない。
ただ、身体の中心を示す既定の印がないだけだ。
だからこそ、自分の中心がどこにあるのかは、自分で確かめなければならない。紗英にとってそれは、誰かに理解されることではなく、舞台上の歌声を最後まで聴き届けることだった。
終盤、ヴィオレッタの声がかすかに震える。
その弱さは、敗北ではなかった。むしろ、愛したことも、選んだことも、すべて自分の意志だったと認める強さだった。
紗英は、腹部にそっと手を添えた。
そこには、くぼみも、名前も、説明もない。けれど、自分がここに座り、いまこの歌を受け取っているという確かな感覚がある。
幕が下りる。
観客が立ち上がるなか、紗英はすぐには動かなかった。
ヴィオレッタは、誰かに与えられた役ではなく、最後まで自分の心で舞台に立っていた。
そして紗英もまた、印のない身体を抱えたまま、自分の中心を自分で選び取っていた。
劇場の外へ出ると、夜の空気は冷たかった。
それでも彼女の歩みは、不思議なほど穏やかだった。
胸の奥に、歌の余韻が残っていた。
soap museをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。
Comments are closed