ヴィンテージレコードの楽しみ
ヴァイオリンの貴公子と呼ばれたミルシテインの、この気品はオーディオにこだわって再生して楽しみたいものだ。
ベートーヴェン中期を代表する傑作の1つである。「ヴァイオリン協奏曲」は、このジャンルにおいて楽聖唯一の作品です。フランツ・クレメントの独奏で1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場で初演された。聴衆の大喝采を浴びたが、その後演奏される機会が少なくなり、存在感も薄れていた40年後。ヨーゼフ・ヨアヒムがこれを再び採り上げ、最も偉大なヴァイオリン協奏曲と称し、生涯演奏し続けた。その功績で現在ではメンデルスゾーン、ブラームスの協奏曲とともに『三大ヴァイオリン協奏曲』とも『ヴァイオリン協奏曲の王者』と呼ばれるまでの知名度をえている。この作品は同時期の交響曲第4番やピアノ協奏曲第4番にも通ずる叙情豊かな作品で伸びやかな表情が印象的であるが、これにはヨゼフィーネ・フォン・ダイム伯爵未亡人との恋愛が影響しているとも言われる。ヨーゼフ・ヨアヒムが演奏していた仕立てとは違うだろうが、ミルシテインのこの曲の演奏は、安らかで穏健な主題が弱音器付きの弦楽器により提示される変奏曲形式の第2楽章ラルゲットだけでなく、全体にわたってそのことを感じさせる特別な仕上がりとなっている。
Nathan MILSTEIN, William STEINBERG/ THE PITTSBURGH SYMPHONY ORCHESTRA – BEETHOVEN: VIOLIN CONCERTO – CAPITOL P8313

《米Full Dimensional Soundロゴ盤》
US CAPITOL P8313
ナタン・ミルシテイン ベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲
(Cadenzas by Milstein)
録音:1955年1月19日ピッツバーグ、the Syria Mosque、セッション・モノーラル。
ミルシテインならではの繊細で透明感あふれるベートーヴェン。
米国プレス初期盤です。
「彼は古今東西最も音が明瞭・透明なヴァイオリニストだ」
― イツァーク・パールマン
ヴァイオリンの貴公子、ナタン・ミルシテインは82歳で指に不調を感じるようになった1986年まで衰えを感じさせない第一線の演奏家として活躍しました。
ミルシテインの生涯を振り返ってみれば大きな転機となったのが、1925年のソ連からの出国です。ウラジミール・ホロヴィッツと知り合い、意気投合し、しばしば共演するようになり、1925年には西ヨーロッパでの演奏旅行も一緒に行なった。第一次世界大戦中にアルトゥール・ルービンシュタインが伴走者として演奏した、ウジェーヌ・イザイの門を叩いたのはこの頃。1926年にベルリンでコンサートを開催。遡る1921年、のちに100万ドルトリオのひとりとなるグレゴール・ピアティゴルスキーがポーランド経由でソ連を脱出。ベルリンのロシア系のカフェのアンサンブルで演奏していました。カフェの贔屓の常連にヴィルヘルム・フルトヴェングラーがおり、その骨折りのおかげでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者を務めることができた。ピアティゴルスキーとミルシテインは、1929年に始めて訪米。それぞれにレオポルド・ストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団によりアメリカ・デビュー。1928年にアメリカ・デビューしていたホロヴィッツ。ハイフェッツが1917年から立っていたカーネギー・ホールにロシア革命から逃れてきた名手らがステージを飾るカーネギー・ホール黄金時代になる。
演奏家としては同門のヤッシャ・ハイフェッツと同じく傑出した超絶技巧の持ち主ではあったが、それを前面に押し出す演奏には消極的だった。むしろウジェーヌ・イザイを通じて身につけた、歌心と美音を尊重するベルギー楽派の優美な演奏スタイルが際立っている。そのためしばしばナタン・ミルシテンはヴァイオリンの貴公子と称される。同門のハイフェッツやミーシャ・エルマン比してアクは少ない。しかしその音楽は決して退屈なものではなく、時にはフランス流エスプリ色の強い堅固に構築された音楽の中からほとばしる情熱を垣間見せる。
技巧性を強調しないその演奏スタイルが逆にとてつもない演奏技術の裏付けを感じさせます。
「彼は古今東西最も音が明瞭・透明なヴァイオリニストだ」とイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)は評していたようです。そのミルシテインは練習の虫で、イヴリー・ギトリス(Ivry Gitlis)は次のように回想しています。
彼は毎日毎晩、来る日も来る日も練習していたよ。私が彼に会いに行った時も練習していた。何十年も弾いているような楽曲を取り出しては『もっと明瞭なフレージングができる指使いを発見したぞ!』と喜んでいる。まるで時計職人のような人だ。演奏はもう完璧と言う他ないね。
うんざりするほど弾いてきた作品であっても何度練習し、演奏しても飽きると言うことがなかったようです。よく言われるミルシテインの美音は、そこまでの徹底性があったからこそ、実現されたものでした。
ミルシテインの生涯を振り返ってみれば、それはまさにヴァイオリンの練習に明け暮れた日々。そして、彼は自らのコンサートプログラムの中に、必ずバッハかパガニーニの無伴奏曲を入れることを義務としていました。言うまでもなく、それが己の衰えをチェックするリファレンス。その心がけは、最後の最後までひとりの現役演奏家として評価の支えとなりました。
僕には難しいという言葉の意味がわからない。その曲は弾けるのか、弾けないのか、それだけだよ。
― ナタン・ミルシテイン
演奏スタイルは、名人芸をひけらかすのではなく、その名人芸の裏付けによってこの上もなくクリアな音楽を実現していました。
バロック時代からコンチェルトというジャンルは名人芸の披露のためにこそ存在しています。ヴィヴァルディが発明したヴァイオリン協奏曲は、さすらう魔弓使いパガニーニがヨーロッパ各地に種を撒き音楽のメッカでリストが聴衆を虜にして以来、姿勢でわかりやすいクラシック音楽の醍醐味の一つは名人芸のひけらかしです。
そのひけらかしを満足させるために、作曲家が前提として、作品に備えられた「超絶技巧」を前面に出さず。バロックの時代の楽曲からパガニーニのような難曲まで、そのスタイルは全く同等で、音色もフレージングも非常に明瞭で独特の気品があり、艶やかで匂い立つ様な色気に満ちた素晴らしいものです。
これはオーディオの拘り甲斐を感じられるレコードの一枚。
録音技術がアナログからデジタルに移行し、そのデジタルによる録音技術も十分に成熟する時期まで活動を続けたミルシテイン。彼が生涯に残した膨大な録音はかなり良好な形で現役盤としてカタログに載り続けることが出来ました。
録音は大きくCAPITOLモノラル期録音と、英COLUMBIAに分けられる。どちらも良いが、CAPITOLは入手しやすい、これもレアではないが、何時聴いても惚れ惚れするソロ。時代の波に決して風化する事のない揺るぎの無いヴァイオリンだ。
当時勢いを伸ばしていた新興レーベルの米キャピトルと組んだ数多くのレコーディングでも抜きんでた名盤、メジャーレーベル慌てふためいたと言われています。この演奏を聞くとまず、これがスタジオ録音であるが、あたかもライヴのように生々しく、びりびり伝わってくるものがあります。そんな目の前で弾かれているかのような実在感と緊張感があるのは、ミルシテンの感情が深いところから完全に音にのって現れてくるからでしょう。汗が散る様子すら容易に目に浮かぶ物凄い熱演を聴かされてしまうと、再生装置にこだわって楽しみたいと思うようになる。
録音:1955年1月19日ピッツバーグ、the Syria Mosque、セッション・モノーラル。ミルシテインならではの繊細で透明感あふれるベートーヴェン。米国プレス初期盤です。
繊細で透明感あふれるベートーヴェンとなっているのはミルシテインならでは。
使用楽器は高名なストラディヴァリウスで、楽器の制作時期は黄金期ではあるが一級の名器に比べるとやや音量が少な目の楽器だという。ストラディヴァリウスと言っても同一作者が楽器を一本、一本、作り、調整していたわけでないことは近頃では判明していること。細身に聞こえても演奏者の腕の衰えと捉えるのはおかしい。本盤を聴けば、この楽器の潜在能力をミルシテインが十分に引き出していたのに気づくと思います。
バロック音楽時代に製作された、一挺のヴァイオリンがモダン楽器揃いのフルオーケストラに引けをとらない存在感を示し、完全に対峙している。他のヴァイオリニストからはなかなか聞くことの出来ない美音と透明性のすばらしさ。ドヴォルザーク、グラズノフのヴァイオリン協奏曲にぴったりではないか、作曲家が個性を押し出した音楽の感動を与えてくれることを如実に証明してくれた演奏です。
【ナタン・ミロノヴィチ・ミルシテインのプロフィール】
(Nathan Milstein、1903年12月31日〜1992年12月21日)
ウクライナ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。しばしば20世紀の傑出したヴァイオリニストのひとりに数えられており、ロマン派の作品ばかりでなく、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏ヴァイオリン作品の解釈で知られた。多くの協奏曲のために独自のカデンツァを作曲した(このベートーヴェンの協奏曲もミルシテイン作のカデンツァ)だけでなく、ヴァイオリンのために多くの編曲を手掛けている(中でもフレデリック・ショパンの夜想曲の編曲は有名)。傑出した超絶技巧の持ち主ではあったが、それを前面に押し出す演奏には消極的だった。むしろウジェーヌ・イザイを通じて身につけた、歌心と美音を尊重するフランコ・ベルギー楽派の優美な演奏スタイルが際立っている。そのためしばしばミルシテインは、「ヴァイオリンの貴公子」と称される。
○使用楽器
1710年製ストラディヴァリウス「Dancla, Milstein」(1934-1946)
1716年製ストラディヴァリウス「Maria Teresa:マリア・テレサ, Milstein, ex Goldman」(1945-1992)
○評価
派手さはあまりないものの繊細な高温と濃厚な低音を、その美声で丁寧に奏でる。聴けば聴くほど嵌まる燻銀な演奏。
幾年重ねてもフレッシュで、音の良いウィリアム・スタインバーグの演奏
ウィリアム・スタインバーグ( William Steinberg )はかつてコマンド・レーベルのブルックナー〈交響曲7番〉や、ドイツ・グラモフォンのホルスト〈惑星〉などといった快速演奏で知られた名指揮者。
1899年、ケルンの出身で幼少から楽才を発揮、ピアノとヴァイオリン、作曲を学び13歳のときに、ローマ詩人オヴィディウスの『変身譚』に基づく合唱と管弦楽のための作品を書き上げて指揮、初演するという天才でドイツでの名前はハンス・ヴィルヘルム・シュタインベルクでした。
その後、ケルン音楽院でピアノをクララ・シューマンの弟子に、指揮をヘルマン・アーベントロートに師事したスタインバーグは優秀な成績で卒業、ケルン歌劇場のオーケストラに第2ヴァイオリン奏者として入団するのですが、ここで当時の首席指揮者、オットー・クレンペラーにボウイングの面で怒りを買い解任されることになってしまいます。しかし、クレンペラーは解任したスタインバーグを今度は自分のアシスタントとして雇い、3年後の1924年には自身の代役としてジャック=フロマンタル・アレヴィのオペラ『ジュイーヴ』(ユダヤの女, La Juive)で指揮者デビューを飾らせることとなります。ヴァイオリン奏者よりも、指揮者にさせたい個性を見出したのでしょう。
その翌年、かつてクレンペラーがグスタフ・マーラーの推薦で指揮者を務めたプラハのドイツ歌劇場の音楽監督となり、1929年にはフランクフルト歌劇場の音楽監督に就任、アーノルド・シェーンベルクの『今日から明日まで』の初演などもおこなっています。しかし1933年にはナチによってポストを追われ、その後、準備期間を経た1936年、ブロニスラフ・フーベルマンと共にパレスチナ交響楽団設立という大任を果たしています。
設立後ほどなくしてパレスチナ交響楽団を訪れたアルトゥーロ・トスカニーニは、スタインバーグの指揮を大いに気に入り自身のアシスタントとしてアメリカに招き、1938年から1940年までの間、NBC交響楽団を数多く指揮させることになります。以後、ニューヨーク・フィルやサンフランシスコ歌劇場での指揮を経て、1945年、バッファロー・フィルの音楽監督に就任、1952年にはピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、1976年までの四半世紀に渡って良好な関係を築きあげ、途中、1958年から60年にかけてロンドン・フィル、1969年から72年にかけてはボストン交響楽団の首席指揮者も兼任するなどして、退任から2年後の1978年、ニューヨークで生涯を終えています。
スタインバーグの芸風はクレンペラーとトスカニーニに気に入られるだけあってか、無用な感情移入がなく作品の情報を大切にしたもので、それゆえ古典派から近現代作品までレパートリーは幅広く実演では多彩な演目を取り上げ、また、当時、勢いを伸ばしていた新興レーベルの米キャピトルと組んだ数多くのレコーディングでもその手腕を発揮していたものでした。スタインバーグが最も積極的にレコーディングを行ったのはピッツバーグ交響楽団音楽監督の時代で、米キャピトル・レコードのプロデューサー、リチャード・C・ジョーンズと共に行ったピッツバーグにあるシリア・モスクでのレコーディング・セッションの数々は、今聴いても新鮮なものが多い。
時期としてはモノラル後期からステレオ初期にあたり、しかも当時のキャピトルは音の良さでも有名だったため、1952年2月9日から1959年4月16日の7年間にセッション録音された数々はモノラルのものでも聴きやすい水準にあります。特に1956年の録音からはステレオということもあり、スタインバーグとオーケストラの気合いも十分な快演を楽しむことができます。
ヴィンテージ・レコードのプロダクト、クレジットとノート


Full Dimensional Sound
《Full Dimensional Sound》は、1950年代から1960年代にかけて Capitol Records が使用した録音技術の商標であり、リリース・シリーズではありませんでした。1962年から、ロゴに沿って縦に入っていた「INCOMPARABLE HI-FIDELITY」文字が外周を囲むようにかわり、ロゴがトップになる。
演奏者
ナタン・ミルシテイン
オーケストラ
ピッツバーグ交響楽団
指揮者
ウィリアム・スタインバーグ
作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
曲目
ヴァイオリン協奏曲
録音年
1955年1月19日
録音場所
ピッツバーグ、the Syria Mosque
録音レーベル
CAPITOL
レコード番号
P8313
録音種別
MONO
レーベル世代
Full Dimensional Sound top logo, DARK GREEN WITH GOLD ORIGINAL
レコード盤枚数
1枚組
レコード盤重量
140㌘
製盤国
US(アメリカ合衆国)盤
アメリカ・レコード産業 栄華のシンボル ― キャピトル・タワーとスタインバーグ
LPレコード時代のズーミングした様な音質は、Capitol の音作りによるものとも思えますが、どのレコードでも際立った演奏を聴かせてくれます。Capital はザ・ビートルズのレコードをアメリカ市場で発売をしていたレーベル。アメリカの若者にザ・ビートルズが人気となる一役を買いました。
キャピトル・レコード(Capitol Records)は、アメリカのロス・アンジェルスに本社を置く大手レコード・レーベルの一つで、1942年に作詞家&歌手のジョニー・マーサーが、友人のグレン・ウォリクス、バディ・デ・シルヴァと設立しました。当時のキング音響(現:キングレコード)が日本での契約先でした。
1955年、イギリスのEMIに買収される。1956年12月19日、ポピュラー音楽のステレオ録音を開始する。1940~50年代にアメリカン・ポップスの黄金時代を築く。西海岸で最初のメジャー・レーベルに成長した、ジャズ・ボーカルの宝庫でもある。
ナット・キング・コール「スターダスト」ほか、フランク・シナトラというスーパースターを擁してアメリカのレコード会社を印象づけた。1958年、ステレオ・レコードの発売を開始。 ハリウッドの本社ビルは、キャピトル・タワーとして観光名所にもなっている。
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