って、つりです。でも、わたしがこの世界に入った頃はまだまだ生々しい記憶があったほど。花街と言えば二本木で、今では“現代の遊郭”は熊本城の天守閣が見下ろすところにあるけれども二本木にはまだ芸者さんたちが多い。上品な花街になって残っているといえる。でも昔はそんなに明確に、遊女と芸者の区別はなかったと思います。むしろ戦争中となるとね。
友達の日記(引用部分は元日記 熊本といえば二本木。 から)で黒亭が出てたのでコメントに同じことを書いたけれども、少し加筆してここの日記にします。
黒亭でラーメンを食べたら、ああ、むかしは二本木と言ったんだけど、何もないんだねぇって思わないで、少し散策してね。
黒亭のある
この辺りは二本木といって、
その昔は東雲楼という有名な遊郭があった花街でした。
花街は
熊本駅の再開発とも相まって、
昔の面影を残す建物は潰され、殆どが更地になっていました。
しかし、
ある意味そういう建物は「近代遺跡」だと思うのです。
少し寂しい感じがしました。
観光的なもの、裏道で何かが発見されるって事は無いけど、遺跡調査のインディジョーンズのつもりで道ばたに埋もれているむかしの名残を見つけてみよう。
記憶に残るそうした“熊本文化”を書いておきたくなる時がある。
東雲楼はむかしは日本中に知られるほどのステイタスのある遊郭でした。戦争中まであったんだよ。
今日はお盆と言うよりも、終戦の日でもあるので先輩に聞いた話。太平洋戦争で特攻隊で出陣される部隊は多くが熊本から佐世保の飛行場、あるいは知覧などへ。
当時熊本城には軍の九州本部がありましたから、特攻隊が出撃する前には将校さんクラスの来客がひっきりなしだったという事です。
そうして翌日には出撃する戦闘機が飛んできて上空を旋回。熊本城には西南の役以来天守がありませんでしたから、
遊郭が高い建物として目印にも良かったことでしょう。何度も旋回して主翼を上下に揺らして合図を残して飛び立って行ったそうです。
その前夜が初体験だった少年兵も多かったでしょうね。
映画のように個別に部屋に行くのはよほどのもので、大方は大広間で賑やかだったことでしょう。
映画のように個別でしみじみって、短い時間で心情を表す演出ですね。
熊本城の天守閣が昭和35年頃に再建されて、熊本のシンボルは次第に“健全”な熊本城へと視点が移っていくんだろうけど、東雲楼がなくなるのと入れ替わりに店名だけには“城=楼”をイメージさせる熊本一の“現代の遊郭”が熊本城がよく見えるところに出来たのです。
熊本の裏町散策で、クロネコ亭も運が良ければ見つけられるかもしれませんよ。
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